Tuesday, January 23, 2007

虎の威を借る狐

「いいえ、王様、  北の国々がなんで一宰相の昭奚恤などを恐れまするものか。  まず、お聞きくだされませ。   もとより虎は百獣の王、  ほかの獣を見れば、  ただちに取ってこれを食らいます。  あるとき、この虎が狐をひっとらえたと思しめせ。  とそのとき狐が申しましたそうな。  天帝はこの狐をば百獣の長と定められている、  よって、もしこのわしを取って食らうなら、  天帝の命にそむくものよ。  もしおぬしがそれを信じぬなら、  まあわしのあとについて来られい、  わしの姿を見て逃げ出さぬ獣は一匹もないぞ。  それを見れば得心がいこうよ……  と申しましたげな、  なるほど道理じゃ、と虎は思いました。   さて、狐が先にたち、  虎はそのあとについてまいりました。  一匹の獣に出あいまする。  そやつはとんで逃げました。  つぎの一匹、これもふるえあがって逃げだす。  ……はて、なるほど狐をおそれて逃げるわい、  と虎は思いこんだそうでござります。  その実、獣どもをおそれ走らせたのは、  狐の後ろにいる虎の姿であったのでござりまするがな。   さて事はおなじでござりまする。  北の国々が、  なんで昭奚恤ずれを恐れまするものか。  恐れますのは、  その背後にある楚国の軍勢、  すなわちわが君の強兵でございますぞ。」   (「戦国策」楚宣王)   戦国時代のある日のことであった。楚の宣王が群臣にむかって、  「北方の国々は、  わが宰相の昭奚恤を恐れておるかな?」  とたずねたとき、江乙というものが、この答えたという。これが「虎の威を借る」とか、「虎の威を借る狐」とかいうことばのはじまりとなった。小人が権力をかさに着ていばりちらすこと、また、その小人のことを、これらのことばであらわしている。  ところがである。まだあるのだ。この話だけだと、昭奚恤は君側の侫臣で、江乙は厳然たる大忠臣みたいだ。その江乙が問題なのだ。彼はもと魏の国につかえて、魏の使いとして楚にきた男である。それがそのまま居ついて、楚につかえるようになった。うまいこと取り入って、王の側近になったらしいが、そのあいだも、魏と内々で連絡していたけはいが濃いのだ。ところがその彼にとって、目の上のこぶになるのがいる。昭奚恤である。昭家は楚の王族の出で、代々の重臣である。そして昭奚恤は、大岡裁きに似た逸話があるように、ただのお坊ちゃん宰相ではないらしい。しかもその奚恤は、江乙が魏に内通しているとにらんでいたらしいのだ。これでは、江乙が昭奚恤をじゃまにするのは、まったく当然だろう。  江乙は、やっきになっていた。「戦国策」でもわかるように、彼はなんとかして昭奚恤を蹴おとそうと力をつくしている。「虎の威を借る狐でございます」、「奚恤は魏から賄賂をとりました」、「わたくしを除けものにいたします」……あらゆる機会をとらえて、宣王の耳に悪口をつぎこんでいた。なんのことはない、江乙こそ、「虎の威」を借りたくてウズウズしていたのだ。この話をしたのも、そのためなのだ。隠すよりあらわるるはなし、というものである。  そして、これが戦国というものだろう。一皮むいてみれば、やさしげな羊の皮の下に、狐がいるか、狼がいるか、虎がいるか、わかったものでない社会、はてはどれが狐で、どれが虎かもわからなくなる世の中……、いや、これは戦国だけではないかもしれなかった。  
「中国故事物語」